それでも雑誌は死なない!!:本格的なパーソナルメディアの時代の幕開けか


雑誌休刊のニュースが続き、雑誌の未来への不安ばかりを強調するかたちになってしまったが、昨年6月17日にエントリした記事「本と本屋さんの話:雑誌は決して死なない!! 生き残れる雑誌考1」で書いた思いは、出版界や雑誌業界を巡る状況がますます悪化してきた今でも変わっていない。


ネットやケータイがいくら普及しようとも、私自身はメディアとしての雑誌は永遠に不滅だと信じている。


くりかえしになるが、今、休刊や廃刊に追い込まれたり、存続が難しくなっている雑誌というのは、

  • はじめに広告クライアントありきの広告収入に依存した雑誌
  • ネットでも手に入ってしまう一次情報のカタログ誌
  • つくり手の高齢化により読者のニーズに応えられなくなった雑誌
  • 読者対象を年齢や大まかなテイストで切り、ターゲットがあいまいな雑誌
  • もともと赤字だった看板雑誌を、経営的にもささえられなくなったために休刊する雑誌
  • 雑誌が売れていた時代からの読者の変化に対応できなかった雑誌
  • 本体の雑誌はもともと赤字だったが、関連書籍やコミックスの収益で黒字だったものの収支が崩れた雑誌

などで、これはネットの影響が急激に増大したり、大きな不況の波が訪れていなくても、遅かれ早かれ、休刊を迎えていた雑誌だと考えられる。


たしかに、この未曾有の不況により、これまで以上に、雑誌の淘汰のスピードが加速度を増し、生き残りをかけたサバイバルゲームが激しくなってくることは間違いないだろう。


マス雑誌の時代は完全に終わり、10万部を超えない雑誌へ細分化


しかし、30万部、50万部以上の部数をあえて狙わず、ターゲットを絞り込み、内容もセグメントした雑誌で、発行部数も5万部〜10万部の雑誌、あるいは広告が入らなくても、3万部〜5万部なら、充分ビジネスとして成り立つ雑誌の可能性はまだまだあるはずだ(場合によっては1〜3万部でも可能だが、ビジュアル誌やコミック誌など、削れない最低の製作費があるものは別)。


かつて、いくつかのジャンルで100万部を超える雑誌があった時代のように、みんなが読んでいるからとか、読まないとみんなの話についていけないからと、雑誌を買う人はもういない。


逆にこれからは、30〜50万部以上売れる雑誌が残るとすれば、そのジャンルのトップだけで、その他はもっと小さく、細分化されていくのではないか。


このようなターゲットを絞り込んだ雑誌は、たとえ多くはなくても、ある一定の固定読者が見込めるフィールドで展開していくわけだから、大化けはしなくても、売り損じが少なく、部数の安定も見込め、リスクが少ない、ビジネスとして見れば堅実なものになるはずだ。


また、このような読者の顔が見える雑誌では、ナショナルクライアントのイメージ広告は見込めないが、その商品が必要な読者にピンポイントでアピールするような広告は入るようになるだろう。


個人の感覚と感性でつくる「パーソナルメディア」の時代へ


そして、このような雑誌は、大手も中小もない、つくり手に3万〜5万人の共感を得ることができる「個人(タレント)」がいるかどうか、3万〜5万人に有益な情報やその情報の読み解き方を伝えることができる「個人」がいるかどうかである。


さらに、従来のマーケティング的な手法やアンケートから導き出した、読者のニーズやウオンツに応えるのではなくて(思考過程や社内コンセンサスを得るために使ったとしても)、「これが面白い」、「この内容なら買う」と自分自身が感じる「肌感覚」のような感性で、メディアをつくれる「個人」を編集責任者にすえることができるか、そしてそれを会社として編集・販売面でバックアップできるかが、成功のカギとなるだろう。


私たちの情報誌世代も、それまでの世代に比べれば、情報というものの扱い方というものを知っている世代ではあるが、小学生のころからネットやケータイに親しみ、情報の海を自在に泳げる術を自然に身につけている世代が、数年後には、読者の多くを占めることになる。


「高度な消費脳」を持った世代に誰がどうアプローチしていくのか


また、この世代の子供たちは、あえて人とは違うものを志向したり、個性を主張したりというのとは違う、もっと自然なかたちで、自分の好きなものを自分の感覚で選り分けて、その価値を見極め、リーズナブルな価格で買うスキルを身につけている、いわば「高度な消費脳」を持った、今までに存在しなかった新しい世代だ。


このような世代に向けて、同じような感覚を持った個人が、自分の感覚で雑誌をつくるというと、雑誌が売れていた時代の、カリスマ性を持ったスター編集者や看板編集長が、個人の感覚や感性により雑誌のコンセプトを統一し、読者や時代をリードしていた時代に、再び立ち返るようなものだ。


ただ違っているのは、そのカリスマ編集長のメッセージで動く人数が昔は50万、100万単位でいたとしたら、今は多くて10万、せいぜい3万〜5万の人を動かせるにすぎない時代になったことだ。


もうすでに、コミックの世界ではコミケや「とらのあな」などのコミック専門店で、同人誌が多数流通し、既存の出版流通システムに頼らない、独自の販売ルートで独自のコンテンツを販売している事実は、ここで指摘するまでもない。
また、アプローチは少し違うが、個人でもPCを駆使することで、フリーペーパーやフリーマガジンといった、商業雑誌にも負けないメディアを立ち上げ、多数の固定読者にメッセージを確実に発信することが、以前よりは簡単にできる時代にもなっている。


しかし、このパーソナルメディアを確実に読者へ届けるためには、取次会社から全国の書店やCVSに広く、パターンに沿って配本する、現在の出版流通システムでは対応できないだろう。編集面だけでなく、販売面でも「個人」に対応する、小回りのきく販売ルートやシステムが必要になってくる。


ちょっとおおげさだが、この出版における「個人の時代」、「新しいパーソナルメディア」の誕生の可能性や問題点については、1回では書ききれないし、考えもまだ固まっていないので、今後、事例をあげながら、私なりに少しずつ書いていこうと思っている。


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